株式会社アクアワークス

会社案内
■ 私達は、常に夢を持ちアクアワークスに関わる全ての人の幸せの実現のために
努力を惜しみません。

■ 私達は、常に笑顔とともにお客様のお店の発展を心から応援するサポーターと
して、お客様と共に歩んでいきます。

■ 私達は、常に志を高く持ち水回り設備のプロとして、京都の飲食業界の発展の
ために全力で行動します。
 

株式会社アクアワークス 代表取締役 山本政友

株式会社アクアワークス 代表取締役 山本政友なぜ、飲食店専門なのか?この仕事にかける思い。

株式会社アクアワークスは水道工事店です、いわゆる水道屋さんです。ただ、当社の場合は飲食店舗専門にさせていただいております。飲食店舗の厨房や、お手洗いなど、水廻りの工事やメンテナンスをさせていただいております。仕事全体に占める割合で言いますと約9割ぐらいが飲食店舗関連です。

では、なぜ、飲食店専門になったのか・・・
私は、25歳のころ、父親の仕事の関係で水道工事業界での仕事をはじめました。ある程度、経験を積み30歳で「真和設備」という個人事業主として独立した後は、もちろん飲食店専門ではなく、いろんな現場で仕事をしました。
父親と二人で一般住宅や小さなマンションなどの水道工事をこなしていました。特に儲かっていたわけでもありませんが、なんとか飯は食えるかなという感じでやっていました。
34歳のころ、父親がもう少し仕事を増やしたいということで、他の会社で勤めていた弟を呼んで参加させました。正直僕は賛成ではありませんでしたが、父親と弟でもう決まっておりまして結局一緒にやりだしました。それからは僕が1人で、父親と弟が2人でペアを組んで仕事に当たりました。結果、より多く仕事をこなすことが出来て、売り上げも増えて、親父の言う通りで良かったんかなあと思いました。
で、このまま行ってくれればよかったんですが、1年ほど経ったころ父親が血を吐いて病院に担ぎ込まれるということが起きました。病院で看てもらったら癌やろうということでした。それで手術をすることになったんですが、実際にはもう全然手遅れでどうにもならへん状態やったみたいです。「ようここまで我慢できましたね」って医者が言ってました。
「よく持って半年」と先生に言われて、父親はずっと入院していまして、仕事は僕と弟の 二人で組んでやりました。そうなると今までこなしていた仕事量が出来なくなるのと、父親が居ないことを不安に思ったのか仕事がかなり減りました。
父親の方は、医者の先生の言うた通り半年後に亡くなりました。57歳でした。その時には取引先は結構減ってきていました。そんなもんかっていう思いと、自分に対するふがいなさと、当時一緒にやってました仕事仲間には、有難いなあとそう思いました。

その仕事仲間の仕事がですね、学校だったり、ホテルだったり、工場だったりで大きい現場の配管工事を主にしていました。父親が亡くなった後は、その仲間と一緒に大きい現場での配管工事を主にしていくようになりました。本当にいろいろな現場でいろいろな種類の配管工事を経験しました。何年もかかる現場から突貫工事で徹夜でガーってやる現場とか、楽しかったですね。自分も職人として現場で作業をしていまして、仕事がホンマに楽しかった時期でした。大勢で一緒に仕事しながら、物を作っていく、出来上がっていく様子を見ながら、自分たちの仕事に対して誇りを持っていました。当時の大手のゼネコンのコマーシャルで、「地図に残る仕事」っていうのがあったんですが、本当に自分たちが施工した現場が地図の乗っているのを見ると嬉しかったですね。
この時のことを振り返るとですね、
「自分の、自分たちの為に仕事をしていた時期」といえると思います。
この時のことを振り返るとですね、「自分の、自分たちの為に仕事をしていた時期」といえると思います。自分たちがやりたいと思う仕事をする、納得できる仕事をする、それ以外はいらん!って感じでした。
ホンマ、ちょっと調子に乗ってたなと今では思います。というのは、なんか毎日がホンマに楽しすぎてですね、何でも自分たちの思い通りになるような感じに思えてくるんですね。
わかりやすい話でいうと、車なんですが、その時僕はトヨタのセンチュリーに乗ってました。で、そのトランクにヘルメットやら道具を載せてですね現場に行くわけです。職人も一緒に乗ってました。まあ、いやらしいというか、勘違いですよね。今やったらそんな奴友達にはならんですね。ちなみに、一緒にやってた仕事仲間は日産のプレジデントに乗ってました。おんなじタイプやったってことですね。
そんな感じで、勘違いはいっぱいあるんですけど、大きな勘違いとしては、自分が経営者として、商売人として、一人前になってきているなあと勘違いしていたことでした。
というのはですね、何かいろいろとわかったような気になってたんです、いまのまま仕事を頑張っていれば、いつか仕事はもっと増える、いつかもっと職人は増える、いつかもっと売り上げは増える、いつか利益はもっと増えて、いつか勝手に会社はもっと大きくなるって思ってました。そんなわけ、ないですよね。
で、ですね。その勘違いに気が付いたのが、恥ずかしながら40歳のころでした。40歳になってですね、ちょっと落ち着いて廻りを見たときに、あれっ!て思ったんですね。
40歳になった時の自分の廻りの状況とか環境とかがですね、30歳で独立した時と何にも変わってなかったんですね。なんでやろ?って思いました。
というのは、40歳になった時の自分の廻りの状況とか環境とかがですね、30歳で独立した時と何にも変わってなかったんですね。なんでやろ?って思いました。というのも、まあ調子には乗ってましたけれども仕事は好きで頑張ってましたし、自分なりに40歳になったらこうなっていたいとか、こんな会社にしていたいとかの目標はあったんですね。
それが何にも出来ていなかったんです。その時は焦りました。ホンマにどうしようって感じでした。一番怖かったのは、このままやったら50歳になっても、60歳になっても、何も変わらずに、同じことを繰り返してるんちゃうやろかって事でした。それだけは絶対に嫌やなあと本気で思いました。ただ、その時は何をどうしたらええのか?何もわかりませんでした。何か変えていかなアカンとは思うんですけど、何をどう変えたらええのか? さっぱり分かりませんでした。
そんな時、世の中の景気も悪くなっていって、30代のころ一緒に仕事をしていた仲間が居なくなっていったんですね。つまり、夜逃げというやつです。しかも1年間で二人もです。そうなったら、次はウチやなやと思いますよね。それはいややし、父親のことで苦い思いもありましたし、家族の事を考えても、何とかして生き残っていきたいと心から思いました。
それからは、仕事の内容も大きく変わりました。それまでの大きな現場ではなくて、ちいさな工事からもう一度スタートしました。今まではしたことがなかった営業活動も始めました。初めての営業って書いてますが、「初めてのお使い」と一緒で、よちよちでフラフラでした。
それまでは、したことがなかったんですね、営業っていうのを。仕事は今の現場をきっちりと納めていけば次に繋がると思ってましたし、実際にそうなっていたと思ってました。ただそれも、そういう時代やたんですよね、それを自分たちの力やと、思ってたんですね。それも、勘違いですよね。
このころが僕の仕事人生の中で一番辛かったころですね。営業行ってもですね、話の中身はお金の事だけで、仕事の中身というか、どんな仕事のやり方とかは、あんまり関係がなくって、「いくらで出来んの?」とか「値引きは出来んの?」とかばっかりやったように思います。まあ、こちらの足元を見られてたんやとは思いますが・・・
仕事がホンマに面白くなくて
「何のために、誰のために仕事してるのかわからんかった時期」
このころは仕事がホンマに面白くなくて「何のために、誰のために仕事してるのかわからんかった時期」やったと思います。ホンマに面白くなくて、辞めることばかり考えてました。いつまでもこんなことやってられへんなとか、仕事を変えるなら今しかないなとか、考えてました。けど、家族もいるし、頼ってくれる職人もいるし、辞められへん みたいな。でも、いつか辞めたるみたいなことばかり考えてました。
まだ、この仕事を続けられてるのは、ある方との出会いがあったからです。
そんな僕がまだ、この仕事を続けられてるのは、ある方との出会いがあったからです。
その方は飲食店の内装デザインと施工をされている会社の方なんですが、そちらの仕事をさせていただいた時に初めて、お金以外の価値観で対応していただいたんですね。
施工力はもちろんですが、仕事に対する考え方や取り組み方みたいなことを評価していただきました。例えばですね、建築関係の方はお分かりかと思いますが、いわゆる建築現場では、着工から竣工・引き渡しまでいろんな業者が入れ替わり立ち代わり仕事をするんですね。その中で自分たちがどのタイミングで仕事をするかというのが「作業工程」って言うんですが、店舗工事ではその期間が結構短いんですね。
夜間工事とかも普通にありますし、そこで前後の業者さんに迷惑をかけないように作業工程を理解して仕事をすることが大事であったり、また現場は生き物って言いましてコロコロと変わることもあるんですが、それにも臨機応変に対応したりというところを評価してもらえました。 いうても、ホンマ簡単な事なんです。「山本さんところは、現場の流れを考えてくれるし助かるわ」とか「いろんな現場を経験してるから心強い」とかなんですけど、今考えたらそのまんま社交辞令なんですけど・・・ 
けど、これが本当に嬉しかったですね。 目の前が晴れるというか、自分たちのやっている仕事に意味が出来たというか、そんな感じでした。この方の会社のためにどうしたら役に立つか考えて仕事をしようと思いました。初めて自分以外の誰かのために仕事をしようと思った、そういう感じでした。
で、その方の会社が飲食店舗デザインと内装施工で京都ナンバーワンを目指すなら、それを実現させるためにウチは飲食店舗専門の水道工事店として京都ナンバーワンを目指そうと決めました。
この方との出会い、この方の会社との出会いがキッカケで、
ウチの会社は飲食店舗専門の水道工事店になると決めました。
この方との出会い、この方の会社との出会いがキッカケで、ウチの会社は飲食店舗専門の水道工事店になると決めました。飲食店舗専門になった理由はこんなんで、何か戦略的なことがあるとか、特化して差別化するためとか、もしかしたら今までそんなことを言うたことがあるかもしれませんが、申し訳ありません。後付けです。
ただしですね、この時にそう決めたことで、自分たちのやるべき事が見えてきました。京都ナンバーワンを目指すために必要な知識、情報、経験、技術、何もかもが足りていないことがわかりました。今もまだまだ足りないことだらけですが、これからも貪欲にいろんなことを吸収していきたいと思っています。
そんな感じで、仕事の中で飲食店関連の占める割合が増えてきまして、今では全体の9割以上が飲食店関連です。この方との出会いと、お仕事をさせていただきました、たくさんの飲食店さんのおかげで、今のアクアワークスがあるといえます。なので、恩返しというか、

少しでも飲食店や飲食業界のために、「何かできへんかな?」というのも今の取り組みにつながっています。
 

page_top